大槻 磐渓
おおつき ばんけい《おほつき ばんけい》
1801(享和元. 5.15)。
1878. 6.13(明治11)
◇江戸幕末の漢学者。本名は清崇(キヨタカ)、字は士広、通称は
平次、号は磐渓。大槻玄沢の次男、大槻玄幹(ゲンカン)の弟。大
槻如電・大槻文彦の父。仙台藩の侍講。
はじめ昌平黌に学び、1827(文政10)長崎奉行近習となり長崎
に遊学。のち江戸詰めの仙台藩学問稽古人。西洋諸国が渡来す
るので、大塚瑪蜂に師事し西洋砲術を究める。江川塾の学頭。
親露排英の開港論を主張。1862(文久 2)仙台に移り養賢堂の学
頭。
1868年、奥羽列藩同盟を支持、文書の起草に当り、のち投獄。
(*)1868(慶応 4