大久保 利通
おおくぼ としみち《おほくぼ としみち》
1830(文政13. 8.10)
1878. 5.14(明治11)
◇明治初期の中枢の政治家。名は利済、通称は正助のち一蔵、
号は甲東。薩摩の下級藩士御小姓組150石大久保治右衛門の子。
1840(天保11)薩摩藩記録所書助役。藩主島津斉彬(ナリアキラ)の
幕政改革に西郷隆盛らと参加。斉彬の没後は藩主島津忠義の子
久光に信任され、重臣小松帯刀や西郷らと公武合体に尽力。
やがて薩英戦争・下関砲撃事件・幕府の長州征伐などから西
郷らを討幕論に導き、京都に出て岩倉具視に接近。1866(慶応
2)坂本龍馬の仲介で長州藩士らと連合、岩倉ら公家の支持も
得て王政復古に活躍。
1867(慶応 3)新政府の参与となり、西郷・木戸孝允らと戊辰
戦争を主導し明治政府を樹立。1869(明治 2)参議。1871(明治
4)木戸らと版籍奉還・廃藩置県を敢行。同年、大蔵卿。岩倉
遣外使節の副使としてアメリカ・ヨーロッパに随行。1873(明
治 6)帰国後、国力の充実を主張して征韓論に反対。征韓派が
退陣後、内務卿。1874(明治 7)佐賀の乱を武力で鎮圧、一方征
台の役を実施し、不平士族の不満を反らす。1875(明治 8)大阪
会議を開き、自由民権運動の木戸・板垣退助らと妥協。
1875. 3.(明治 8)地租改正事務局を設置、大久保利通(トシミチ)
が総裁を兼任。茨城や三重に大規模な一揆が発生するや、1877
(明治10)地租税率を軽減。同年、明治政府の最大の危機である
西南戦争を乗り越えるが、不平士族の怨みを買い、翌1878(明
治11)東京赤坂の紀尾井坂(キオイザカ)で石川県士族島田一郎(陸軍
大尉)・島根県士族浅井寿篤ら不平士族145名に襲撃・暗殺(紀
尾井坂の変)。
◎墓は東京都港区の青山霊園。
◎同郷の警視庁初代大警視の川路利良(トシヨシ)は腹心。西南戦争
の直接の原因となった西郷隆盛暗殺計画も大久保が川路に内命
したと言われている。