大久保 忠教
おおくぼ ただたか《おほくぼ ただたか》
1560(永禄 3)
1639(寛永16. 2.30)
◇江戸前期の幕臣。初名は忠雄・平助、名は忠教(タダタカ)、通
称は彦左衛門・彦左。大久保忠員(タダカズ)の8子、母は小坂氏、
長兄は忠世(タダヨ;異母兄)、次兄は忠佐(タダスケ)(沼津2万石)。
大久保忠隣(タダチカ)(忠世の子)の叔父。三河生れ。徳川家康・
秀忠・家光に仕える。
1576(天正 4)遠江国乾(イヌイ)の戦を初陣とし各地に戦い武功
を挙げる。小田原城主大久保忠隣(タダチカ)の所領武蔵国埼玉郡
内に2千石を領する。大久保長安(ナガヤス)の生前の不正が発覚
し、1614(慶長19)忠隣が改易された際、駿府に召され三河国額
田(ヌカタ)郡1千石。1632(寛永 9)旗奉行となり、1千石加贈。
家訓『三河物語』を著す。
(2)遠江犬居(イヌイ)合戦の初陣……。
(16)遠江国乾(イヌイ)の戦が初陣…….
◆忠教は江戸麻布市兵衛町に立行寺を創建、死後に大久保寺と
も呼ばれた。1668(寛文 8)火災により現在地(東京都港区白金
1丁目)に移転。忠教の墓をはじめ大久保一族がある。
◎立行寺には講談で有名な一心太助(イッシン・タスケ)の碑がある。
◎家康が臨終の際に「彦左衛門のわがまま無礼は生涯許すこと」
と遺言。「天下の御意見番」と呼ばれる。