大川 周明
おおかわ しゅうめい《おほかは しうめい》
1886.12. 6(明治19)
1957.12.24(昭和32)
◇右翼国家主義運動の理論的指導者。山形県生れ。東京大学哲
学科卒業。
学生時代に参謀本部のドイツ語の翻訳の下請けをし軍人の友
人を多く作る。
1918(大正 7)南満洲鉄道(満鉄)に入社、東亜経済調査局調査
課長・局長などを歴任。
この間に満川亀太郎(ミツカワ・カメタロウ)と1919. 8.(大正 8)上海に
いた北一輝を仲間に入れ猶存社(ユウゾンシャ)を組織し活動の中心
となるが、、大川と北が対立して1923(大正12)解散。1924(大
正13)行地社(コウチシャ)を結成、1925(大正14)皇居内に大学寮を設
け日本精神を説き、1932. 2.(昭和 7)行地社を母体に神武会を
組織(1935解散)。
1929(昭和 4)満鉄から独立した東亜経済調査局の理事長。
1930(昭和 5)結成された陸軍ファシストの秘密結社・桜会(サクラカ
イ)の将校と接近、大アジア主義を唱え、1931(昭和 6)三月事件
(宇垣一成陸軍大臣のためらいで未発)・十月事件(事前に軍部
の中枢に漏れ未遂)に関係した。
1932(昭和 7)五・一五事件に資金援助し検挙され禁錮9年、
1937(昭和12)仮出獄。1939(昭和14)東亜経済調査局長の最高顧
問・法政大学に新設された大陸部部長を兼ねる。
第二次大戦後、1945.12.12(昭和20)A級戦犯に指名され、巣
鴨拘置所に収容。極東国際軍事裁判の公判中発狂を理由に1948.
12.25(昭和23)釈放。
著書『日本精神研究』・『二千六百年史』・『近世欧羅巴植
民史』・『回教概論』など。
◎北は尉官級以下の青年将校に、大川は佐官級の中堅将校に関
係が強かった。
◎軍事裁判中の発狂には(1)梅毒説、(2)連合軍が理論闘争を避
けるため一服盛ったとする説、(3)法廷を逃れるための芝居説、
の3説がある。
◎軍事裁判中に東条英機の後頭部を平手打ちしたことは有名。
◎東京都目黒区下目黒3丁目の目黒不動に大川周明の筆になる
「北一輝先生碑」がある。