大岡 育造
おおおか いくぞう
1856(安政 3)
1928(昭和 3)
◇明治・大正期の政治家。医者大岡尚斎の長男。長門(山口県)
生れ。
長崎医学校に入学。東京に出て講法学館・司法省法学校に学
ぶ。
1890(明治23)「江戸新聞」を買収し「中央新聞」の社長となる。
同年、帝国議会開設に際し、山口県選出の衆議院議員となり
以来12回当選。政友会総務・東京市議会議長。1903(明治36)東
京市参事会員、のち市会議長。1912年以後、衆議院議長に3回
就任。
1914(大正 3)奥田義人に替り第1次山本権兵衛内閣の文部大
臣。
1922(大正11)第45回帝国議会で政友会領袖として帷幄上奏(イ
アクジョウソウ)による陸軍大将の増加を攻撃。のち吉野作造の『帷
幄上奏論』に「与党の領袖の口から之(コレ)を聞こうとは、実は
吾人の全く夢想せざる所であった」と記された。
(*)1912(明治45