大江 卓
おおえ たく《おほえ たく》
1847(弘化 4. 9.25)
1921(大正10. 9.12)
◇明治・大正期の政治家・実業家。幼名は斎原治一郎のち
土井卓造、法号は天也。斎原弘の子。土佐国幡多郡生れ。
1867(慶応 3)長崎に赴き、ついで京都に出て土佐藩の陸援隊
に入り、尊皇運動に参加。
1868(明治元)兵庫県判事試補、1869(明治 2)兵庫外国事務御
用掛となるが、藩令によって帰省、上海に学ぶ。1871(明治 4)
「穢多(エタ)非人廃止建白書」を政府に提出。1872(明治 5)神奈川
県権令となりペルー国船マリア・ルーズ号事件を処理、英国軍
艦に逃れた苦力<クーリー>(清国人奴隷)を解放。1874(明治 7)大蔵
省に出仕、1875(明治 8)退官。1877(明治10)西南戦争に呼応し
て挙兵を企て禁錮10年、1884(明治17)仮出獄、1885(明治18)赦
免。
1887(明治20)後藤象二郎の大同団結運動に参加、1890(明治
23)立憲自由党創立に尽力、衆議院予算委員長となり党と政府
との妥協をはかり非難を受け、さらに1892(明治25)選挙に落選、
実業界に転じる。
東京株式取引所会頭・東京米穀取引所重役・朝鮮京釜鉄道設
立委員など。
1909(明治42)財界を退き、1914(大正 3)僧籍に入り、同年半
官半民の帝国公道会を創設。