円珍
えんちん《ゑんちん》
814(弘仁 5)
891(寛平 3)
◇平安前期の僧侶(天台宗)。俗姓は和気氏。宅成の子、母は佐
伯氏で空海(弘法大師)の姪。讃岐国那珂郡の人。天台宗寺門派
の宗祖。
15歳で比叡山に登り、座主義真に師事。20歳で受戒し僧とな
る。 846(承和13)延暦寺真言の学頭。 850(嘉祥 3)内供奉持念
禅師。
853(仁寿 3)40歳で唐に渡る。台州国清寺の物外に止観を、
越州開元寺の良(「月」偏+「胥」:6215)に台教を、長安青竜寺の法
全に金剛・胎蔵両部を学ぶ。さらに福州開元寺の存式に法華・
華厳・倶舎などを、同寺に留学中の天竺僧般若恒羅に「梵字悉
曇章」を学ぶ。
858(天安 2)帰国後、比叡山山王院に住み、山王院大師・
後唐院と称する。同年、近江国園城寺(オンジョウジ)(通称三井寺)
の再興に着手、延暦寺の別院とする。藤原良房・基経父子に認
められ、 864(貞観 6)宮中仁寿殿で大悲胎蔵の潅頂(カンジョウ)を
天皇以下諸臣に授け、皇太后明子の護持僧となる。 866(貞観
8)園城寺別当。 868(貞観10)清和天皇の勅命により第5世天
台座主。 883(元慶 7)法橋まもなく法眼和尚位、 890(寛平 2)
少僧都。
927(延長 5)醍醐天皇より智証大師を追諡。
円仁(エンニン)に対して天台より密教が秀れていると説く。
◎のちに円珍の弟子が、延暦寺の山門派(円仁が祖)と対立し、
993(正暦 4)園城寺に拠って分離独立し、寺門派を形成する。