栄西
えいさい
1141
1215(建保 3. 7. 5)
◇鎌倉前期の日本臨済宗(リンザイシュウ)の開祖。「ようさい」ともい
う、字(アザナ)は明庵(ミョウアン)、比叡山の房号は葉上房、千光法
師・千光祖師とも呼ばれる。備中国吉備津神社の神官賀陽(カヤ)
氏の出身。
8歳のとき『倶舎婆沙』を読む。11歳のとき備中国安養寺の
静心に師事。1153(仁平 3)比叡山に入り得度。19歳で有弁に天
台宗を学ぶ。さらに伯耆大山の基好に密教を学ぶ。
1168(仁安 3)約6ヶ月宋に渡り、天台山・阿育王山に登る。
禅を学ぼうとして、1187(文治 3)再度入宋し、天台山万年寺の
虚菴懐敞に臨済宗黄龍(オウリョウ)派の禅を受ける。1191(建久 2)
帰朝し、筑前に報恩寺を、博多に聖福寺を建立。1194(建久 5)
比叡山の訴えにより朝廷は禅宗を禁止。そのため『出家大綱』
・『興禅護国論(コウゼンゴコクロン)』を著す。
京都での布教に断念し、1199年北条政子の招きに応じて鎌倉
に赴き、政子の帰依をうけ鎌倉に寿福寺、第2代将軍頼家が帰
依し幕府の支援により1202(建仁 2)京都に建仁寺(台密禅の三
宗兼学の道場)を建立。東大寺勧進職となり東大寺を修築、法
勝寺九重塔を再興。一時追放されるが、紫衣(シエ)を賜り、1213
年僧正に任ぜられる。1215(建保 3)相摸国亀谷に寿福寺を建立。
◎宋から茶種をもたらし栽培、『喫茶養生記』を時の将軍源実
朝に献じた。
◆栄西忌(建仁寺開山忌)[旧暦 7. 5]。
[ 6. 5]京都市東山区の建仁寺で法要と献茶式が行われる。
(4)最初、比叡山で天台・密教を学び、……。
(6)19歳で比叡山に入り,天台と密教を修行。
(16)没日は 7. 5。14才で叡山に登って得度し,19才で有弁に
ついて天台宗をおさめる.
(17)仁平三年(一一五三)十三歳で叡山に登って受戒、栄西と称
し、密経を学ぶ。入寂の日について、六月五日(『吾妻鏡』)説
と七月五日(『沙石集』)説、場所については鎌倉説と京都説と
が対立している。
(*)1141(保延 7