浅見 絅斎
あさみ けいさい
1652(慶安 5. 8.13)
1711(正徳元.12. 1)
◇江戸中期の儒学者(朱子学派)。初名は順良のち安正、通称は
重次郎、号は絅斎・望楠楼。近江国高島郡太田村の人。
はじめ京都で医者をしていたが、浅見氏を継承、28歳で山崎
闇斎の門に入る。崎門(キモン)三傑の一人といわれたが、師の神
道説に服せず破門される。南朝正統論を述べる。中国の忠孝義
烈の士の文章を集めた『靖献遺言(セイケンイゲン)』を著し、維新の
志士に大きな影響を与える。
◎浅見絅斎(ケイサイ)・三宅尚斎(ショウサイ)とともに崎門(キモン)三傑の
一人。