浅野 幸長
あさの よしなが
1576(天正 4)
1613(慶長18. 8.25)
◇安土桃山・江戸初期の大名。幼名は長満・長慶、通称は
左京大夫・紀伊守。浅野長政の長子、長晟(ナガアキラ)の兄。和歌
山城主。
幼時から豊臣秀吉に近侍し、1590(天正18)小田原征伐に加わ
る。1592年、文禄の役では秀吉に従って肥前名護屋に出陣、つ
いで父とともに朝鮮に渡り、慶尚南道西生浦に築城。1595(文
禄 4)帰朝。石田三成の讒言で能登に流されるが、1596年赦さ
れて、翌年再び渡鮮。明(ミン)の大軍に襲撃され蔚山城に籠城、
加藤清正の援軍を得るが苦戦し、1598(慶長 3)さらに援軍を得
て脱出、秀吉の死で帰朝。関ヶ原の戦では東軍の先鋒として戦
功をたて、紀伊国37万6千余石を与えられる。
(*)1592(天正20