浅田 宗伯
あさだ そうはく
1813(文化10)
1894(明治27. 3.16)
◇幕末・明治時代の漢方医。名は直民のち惟常、字は識此、号
は栗園。信濃国(長野県)筑摩郡栗林村の人。せきどめの「浅田
飴」を創製。
高遠藩で医学を修める。京都を経て江戸に出、剃髪して宗伯
と称する。1865年、フランス公使の病気を治療し、幕府より賞
を受け、大奥の侍医となり法眼に叙せられる。維新後は一時隠
居し、のち東宮侍医。1879(明治12)漢方医家を糾合して温知社
を組織し、「温知医談」を発行。
(2)生年の異説は1815。
(6)生年は1813。
(*)1865(元治 2