麻田 剛立
あさだ ごうりゅう《あさだ がうりふ》
1734(享保19)
1799(寛政11. 5.22)
◇江戸中期の天文学者・医者。名は妥彰、本姓は綾部、号は
正庵・璋庵、通称は庄五郎。豊後国速見郡杵築(キツキ)生れ。
1763(宝暦13. 9.)の日食を予言して世に知られる。家は代々
杵築の藩医で、1767(明和 4)藩の侍医となる。
1770年ころ、天文・暦学を研究するため脱藩、大坂に出て名を
麻田剛立と改め、医師をしながら観測・研究。
1795(寛政 7)幕府に召されるが、弟子の高橋至時(ヨシトキ)・間
(ハザマ)重富を推挙。
墓は大阪市天王寺区の浄春寺。
(4)綾部絅斎の次男。
(6)綾部絅斎(アヤベ・ケイサイ)の四男。