朝倉 義景
あさくら よしかげ
1533(天文 2)
1573(天正元. 8.20)
◇戦国時代の大名。初名は延景、通称は左衛門督。[1]孝景の
子。
1566(永禄 9)松永久秀に逐われた足利義昭を越前国一乗谷に
迎え、幕府回復を企てる。しかし1568(永禄11. 7.)義昭は織田
信長の許に去り、擁立されて入洛。
義景は上洛を拒否し信長と対立、浅井長政と結んで対抗する。
1570(元亀元. 6.)姉川の戦で信長軍の徳川家康に大敗し一時講
和する。
のち信長の越前侵攻に敗れ、一族の朝倉景鏡の謀叛により自
殺し、朝倉氏は滅亡する。
(2)生年は1533(天文 2)。幼名孫二郎。
(4)生年は1530。
(6)「朝倉氏」の項。生年は1533。
(16)生年は1533(天文 2)。幼名は孫次郎.