芥川 竜之介(芥川 龍之介)
あくたがわ りゅうのすけ《あくたがは りゆうのすけ》
1892. 3. 1(明治25)
1927. 7.24(昭和 2)
◇大正時代の小説家。辰年辰月辰日の辰の刻の生れにちなみ龍
之介と命名された、初期の筆名は柳川隆之介、号は澄江堂(チョウ
コウドウ)主人・寿陵余子(ジュリョウヨシ)・我鬼(ガキ)(俳句)、旧姓は
新原(ニイハラ)、芥川は母の姓。東京市京橋区入船町8丁目1番地
(現:中央区明石町10〜11番地)生れ。新原敏三の長男、母は
ふく。新劇俳優芥川比呂志(ヒロシ)・作曲家芥川也寸志の父。
実母ふくが彼の生後九ヶ月ごろから発狂したため、その実家
(本所区小泉町:現在の墨田区両国3丁目)の伯父芥川道章に養
われ、のち12歳のとき養子となる。養母は細木香以(サイキ・コウイ)
の姪の儔である。
1916. 7.(大正 5)東京帝国大学英文科卒業。卒業後、海軍機
関学校の英語教官となり鎌倉に住み、1919(大正 8)辞職して上
京。のち大阪毎日新聞社社員。
1914(大正 3)在学中、菊池寛・久米正雄らと第三次「新思潮」
を発刊。『鼻』が夏目漱石に認められる。歴史に題を取る小説
が多い。田端の自宅で睡眠薬(ヴェロナール)自殺。
1935(昭和10)龍之介を記念して文藝春秋社が無名または新進
作家に贈る芥川賞を設ける。
作品は『地獄変』・『羅生門』・『河童』・『或阿呆の一生』
など。
◎1927. 3. 7(昭和 2)東京朝日新聞に北原白秋監修の『日本児
童文庫』(アルス)と菊池寛・芥川龍之介責任編集の『小学生全
集』(興文社・文藝春秋社)の広告が同時に掲載され、互いに誹
謗しあい訴訟にまで発展。龍之介は白秋と菊池の板挟みとなり、
自殺の遠因となったといわれている。
養家には母ふくの姉ふきがおり、龍之介はこの伯母を慕って
いた。
龍之介の長姉は夭折。次姉ハツは再婚し、その相手西川豊は
莫大な保険金をかけた家が焼け放火の疑いで、龍之介の自殺の
半年前に鉄道自殺。
◎生家は耕牧舎という乳牛の牧場で、父敏三はそこの経営者。
この地は忠臣蔵で有名な浅野内匠頭(タクミノカミ)長矩の上屋敷跡
でもある。
◆河童忌(我鬼忌・龍之介忌)[ 7.24]好んで河童(カッパ)の絵を
描き、小説『河童』から。