赤松 満祐
あかまつ みつすけ
1381
1441(嘉吉元. 9.10)
◇室町中期の武将。法号は性具。教康(ノリヤス)の父、義則(ノリヨシ)
の子、則祐(ノリスケ)の孫、則村(ノリムラ)の曾孫。
播磨(ハリマ)・備前・美作(ミマサカ)の守護職にあり、幕府の侍所
頭人を勤め幕政に寄与。一時所領没収の風説で幕府に反抗。
のち将軍足利義教(ヨシノリ)が一族の赤松貞村に播磨守護職を与
えようとしているの知り、1441(嘉吉元)義教を結城合戦平定の
祝賀と称して京都の自邸に招き、長男教康に弑(シイ)させる。領
国に帰った満祐は、幕府に遣わされた山名持豊(宗全)・細川氏
に城山城を攻められ、教康を脱出させて一族は自害する(嘉吉
<カキツ>の乱)。
(*)1381(<南>天授 7