相沢 三郎
あいざわ さぶろう
1889. 9. 6(明治22)
1936. 7. 3(昭和11)
◇陸軍軍人・中佐。宮城県生れ。父は仙台藩士兵之助、母は仙
台藩士羽田善助の娘まき子。妻は米子。
仙台陸軍幼年学校を経て、1910(明治43)陸軍士官学校卒業。
1910(明治43)仙台歩兵第29連隊に配属、東久迩稔彦(ナルヒコ)親
王が中隊長であった。1918. 6.(大正 7)中尉として台湾歩兵第
1連隊に転勤。1920(大正 9)戸山学校教官。1926. 8.(大正15)
熊本の歩兵第13連隊中隊長。1927. 7.(昭和 2)少佐となり東京
の歩兵第1連隊付。1931. 5.(昭和 6)青森の歩兵第5連隊大隊
長、このころから憲兵にマークされる。1932. 8.(昭和 7)秋田
の歩兵第17連隊付。1933. 8.(昭和 8)中佐として福山の歩兵第
41連隊付。
皇道派と統制派の抗争から狂信的な皇道派だった相沢は、真
崎教育総監罷免直後に上京し、1935. 7.19(昭和10)統制派の中
心人物の軍務局長永田鉄山少将に辞職を勧める。 8.12永田鉄
山を陸軍省内で斬殺(永田事件)。 1936. 5. 7(昭和11)第1師団軍法会議で死刑となり、 6.30
陸軍高等軍法会議で上告棄却。 7. 3、二・二六事件の反乱将
校らとともに銃殺刑。
(+)『検索!二・二六事件』雄山閣出版1993年 8月 1日印刷田々宮英次郎:著1993年 8月20日発行
中佐は明治二十二年九月九日、父の任地である福島県白河町
に生れたが、本籍は仙台市東六番町にあった。